上島竜兵の結婚した嫁や娘について!年収や時計のエピソードも調べてみた

  • 上島竜兵は1961年1月20日生まれ
  • お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の大ボケ担当
  • リアクション芸人の火付け役

上島竜兵のプロフィール

名前 上島竜兵 (うえしまりゅうへい)
グループ・所属
職業
所属事務所
誕生日 1961年1月20日
年齢 63歳
身長 162cm
血液型 AB型
出身地 兵庫
外部リンク
 

性格

  • 優しい
  • 謙虚

上島竜兵は多くの後輩芸人が全く売れてない頃から面倒を見ていて、上下関係に厳しくすることなくフラットに関わるほど優しい性格です。

またとても気遣いのできる人で、リアクション芸がウケるのは共演者などその場で笑ってくれる人のおかげだと語り、謙虚な姿勢を見せていました。

 

特技

  • 関西落語
  • なわとび

上島竜兵は関西出身で関西落語が得意ですが、普段は標準語を使っていて関西落語を披露したことはありません。

またなわとびも得意ですが、どのように得意なのか語ったこともなく披露したこともありません。

幼少期からなわとびに親しんでいたのではないでしょうか。

趣味

  • プロレス
  • 野球観戦
  • 野球

上島竜兵は野球チームの中で阪神タイガースのファンで、DeNAの始球式は毎年常連、竜兵会のメンバーとは草野球チームを組んで監督と担当し、野球を楽しんでいました。

2022年1月には出川哲郎さん率いる「デガワテツローズ」と上島竜兵率いる「竜兵会」で草野球対決を行っています。

年収

上島竜兵は芸人としてだけでなく俳優としても活動してしていて年収は3000万円ほどと言われています。

冠番組やレギュラー番組はあまり持っておらず、不定期で番組出演することが多いので、芸歴が長い割にはギャラが安めの可能性があります。

過去には月収28万円で年収300万円だと明かしていた時期がありましたが、現在は俳優としても活動の幅を広げていたので、ここ数年は300万円ということはないでしょう。

また人が触れ合う芸が多いダチョウ俱楽部なので、ここ数年コロナ禍で番組に呼ばれる機会が少なくなっていたので、収入が減っていたこととも考えられます。

デビューのきっかけ

上島竜兵は高校時代にアメリカの俳優・スティーブマックイーンさんに憧れて俳優を志し、青年座研究所とテアトル・エコー附属養成所に在籍していました。

その後、テアトル・エコー附属養成所の同期だった寺門ジモンに誘われて渡辺正行の下を訪ねたことが芸人を目指したきっかけです。

結婚した嫁との馴れ初めは?

上島竜兵は1994年にものまねタレント・広川ひかるさんとの結婚を発表しました。

2人はダチョウ俱楽部が売れ出してきた1990年頃に大勢が参加する飲み会で出会い、初対面で上島竜兵は泥酔して泣きながら飲んでいました。

この飲み会から2人は距離を縮め交際スタート、プロレス観戦などのデートを楽しんでいて3年半の交際歴を経て、上島竜兵から「結婚してよ」とプロポーズ。

結婚式は1994年10月22日に東京・赤坂プリンスホテルで結婚式を挙げ、お色直しでお揃いの「こそ泥ルック」で登場して会場を爆笑させています。

新婚時代にドッキリを仕掛けたことや竜兵会と仲が良すぎたことなど何度か離婚危機もありましたが、そのたびに乗り越え仲のいい夫婦関係を続けてきました。

子供は居ないけど娘って?

上島竜兵と広川ひかるさんの間には子どもはいません。

子どもがいない理由は、いじられキャラである上島竜兵なので、自分に子どもができたら学校でいじめられのではないかと心配して子どもを作らなかったと言われています。

また「上島竜兵」で検索すると「娘」というキーワードが出てきますが、その理由はダチョウ俱楽部のメンバー・肥後克広さんの娘がいじめられていたためという説があがっています。

上島竜兵はどんな人?生い立ちや経歴について

上島竜平は1961年1月20日生まれ、兵庫県氷上郡春日町出身です。

幼少期は実家が裕福ではなく、父親の着古したズボンを切った半ズボンを着用、中学時代まではいじめられっ子でした。

高校時代にスティーブマックイーンさんに憧れて俳優を志し高校卒業後に上京、本格的に俳優を目指すために劇団青年座の養成所に入所しています。

しかし母親が病気になり養成所を退所、一度実家に戻りましたが、再び資金を貯めて上京し、テアトル・エコー俳優養成所に入所しました。

この養成所で現在の相方・寺門ジモンさんに同期として出会い、寺門ジモンさんの誘いでタレント・渡辺正行さんと出会ったことでお笑いに転向。

1985年、24歳のときに寺門ジモンさん・肥後克広さん・南部虎弾さんの4人で「ダチョウ倶楽部」を結成。

その後1987年に南部さんが脱退してトリオになると、1989年に「お笑いウルトラクイズ」に起用され注目を集め、独特な芸風であるリアクション芸を活かし再ブレイクします。

この番組出演で元々ツッコミ役だった上島竜兵は、笑福亭鶴瓶さんの助言によりボケ役に回りました。

1993年10月からは初めてゴールデンタイムで「王道バラエティつかみはOK!」のメイン司会を担当しますが、上島竜兵のドリカム・吉田美和さんのモノマネに視聴者から抗議が殺到し、視聴率も苦戦したことから半年で終了。

1994年の「24時間テレビ」でチャリティーマラソンのランナーを3人で担当。

1995年「ダチョーン倶楽部」内の上島企竜兵企画「目指せ! ヒット曲」で、シングルCDを1枚リリースしました。

2006年、CS放送テレ朝チャンネルで、ダチョ・リブレが放送がスタート、「竜兵会」「ネイチャージモン」の2部構成で「竜兵上島のオチのない話」などオリジナル企画を放送しています。

その後も冠番組はないものの多くのテレビ番組に出演し、伝統芸の領域に入った芸を披露し、オチがわかっているにもかかわらず笑ってしまう芸が多くあります。

2022年、61歳で上島竜兵は死去、ベテラン芸人の急すぎる死に日本中が驚きましたが、メンバー・肥後克広さんが上島竜兵の没後もダチョウ倶楽部は解散しないことを追悼文で明言しました。

出身校・学歴

  • 兵庫県 神戸市立多聞台小学校 卒業
  • 兵庫県 神戸市立鈴蘭台中学校 卒業
  • 兵庫県 神戸村野工業高校 卒業

上島竜兵は中学校時代までいじめられっ子で、勉強がとても苦手でした。

また中学時代に好きな女の子が「結婚するなら医者がいい」と話したことで、父親が医者だと嘘をついてたことがあります。

志村けんとの関係は?

上島竜兵と志村けんさんは20数年前、元プロレスラーでタレント・川田利明さんに誘われた会食で初めて出会いました。

元々川田利明さんが志村けんさんと知り合いで、いつも通り食事をしていると志村けんさんから「上島と知り合いなら呼んでくれ」とお願いされます。

しかし上島竜兵は芸能界の大先輩ということで恐れ多く会うのも嫌だと戸惑っていると、志村けんさんが直接来るように伝えたことで初対面を果たしました。

この出会いをきっかけに上島竜兵は志村けんさんの番組にたびたび招かれるようになり、バカ殿の家来を任せられるようになり、20年以上スペシャル番組で共演しています。

また上島竜兵は志村けんさんを人生の師匠と語り、一時は毎日のように遊んでいて地方ロケが終わった後も連絡をしていて、彼女のような関係だと言われていました。

そんな2人だったので、志村けんさんが死去したときには「志村さんがいない=コントがなくなる」という喪失感を隠せないでいたと周囲の人が語っています。

還暦祝いで貰った時計のエピソード

上島竜兵は還暦祝いに有吉弘行さんから高級ブランド「オメガ」の腕時計をもらいました。

時計の色は上島竜兵が好きな赤いフレーム、お風呂などのリアクションを取るときは外しますが、それ以外の番組では有吉さんの実力が宿るようにと思いながら、大切につけています。

また家に帰ってからは箱の中に入れて、就寝時は枕元に置くほどの宝物だと明かしました。

真犯人フラグでの評判

真犯人フラグは2021年10月10日から2022年3月13日までの2クール、日本テレビ系の「日曜ドラマ」枠で放送されたテレビドラマです。

運送業者「亀田運輸」に勤務する相良凌介の妻子が行方不明になってしまい、SNS上では彼への同情など反響が多数見受けられましたが、時が進むにつれて「真犯人は凌介なのでは」という疑惑が浮かび上がります。

第1部は「怪しく見えたら、もうおしまい。」第2部「真相編」は「終止符は、俺が打つ。」というキャッチコピーで真相を明らかにしていくミステリードラマです。

上島竜兵は登場人物複数名と知人の謎の人物・強羅誠役を演じました。

ファンや視聴者からは、

  • 上島竜兵さんを見る目が変わった人他にも居ると思う、笑顔が不気味な役を演じられてて、演技お上手なんだなって思った
  • 真犯人フラグみて上島さん見る度怖い、笑顔も怖く見えるwwww
  • 真犯人フラグの上島さんめちゃくちゃ良かったよ~どんどん俳優業やって欲しい!

といったように復讐屋という役柄で残酷な役柄でしたが、表情や芝居などが好評で、もっと俳優として見たいという声が多く上がっていました。

お笑いトリオ・ダチョウ俱楽部の上島竜兵についてまとめました。

誰もが知ってる芸を持っていて、オチがわかるのに笑ってしまうネタのリアクション芸担当で、お茶の間を楽しませてくれました。

多くの芸能人や視聴者に愛された芸人で亡くなったことが日本中を驚かせましたが、みんなの心に残る芸人だったということを一生覚えておきましょう。