- 有田哲平は1971年2月3日生まれ
- お笑いコンビ・くりぃむしちゅーのボケ担当
- プロレスが好きでYouTubeチャンネルを開設した
有田哲平のプロフィール
性格
- 気配りができる
有田哲平は業界内で気配りができると有名で、素人と共演したときに頭が真っ白になってしまったことを察して助け舟を出しました。
またスタッフからは「有田哲平にくっついていれば助けてくれる」と高評価です。
特技
- ビーチでカクテルを飲むこと
有田哲平は特技について語っていませんが「第20回ベストスイマー2019表彰式」に参加したときに、得意な泳法を質問され「ビーチでカクテルを飲みこと」と語っています。
趣味
- 映画鑑賞
- 音楽鑑賞
- テレビゲーム
- プロレス観戦
- 格闘技観戦
- 麻雀
- パチスロ
- ギャンブル
- ゴルフ
有田哲平は映画鑑賞が趣味で、日本映画では「天城越え」が特に好きで、映画監督に短編映画を撮ってもらうというバラエティ番組を持っていました。
またプロレス観戦についてはYouTubeチャンネルを持つほどで、プロレス愛が伝わってきます。
年収
有田哲平は芸人としての出演だけでなく、俳優としても活動を広げているため、様々なジャンルから出演料を稼いでいます。
コンビでの出演料が250万円、ピンでの仕事は120~150万円程度で、有田哲平のレギュラー番組やCMへの出演本数で換算すると、年収は5億3000万円と言われています。
芸人を目指したきっかけ
有田哲平は小学生の頃からお笑いが好きで、小学校の文化祭で友人とコントを作って披露していました。
相方・上田晋也さんとは高校時代に出会っていて、コンビ結成前、合コン帰りに近くに住んでいた上田さんの家に泊まりに行ったときに「お笑いやればよかったな」という話をします。
その時期、上田さんはたまたま芸人になろうと履歴書を書いていて、有田哲平もその場で履歴書を書き、芸人の道に進むことになりました。
有田哲平が天才と言われる理由は?
有田哲平はネタではボケ担当ですが、冠番組で司会者を担当することが多くあります。
有田哲平は、お笑いに関して真面目に向き合うことができ、露骨に匂わせることなく番組を盛り上げ立ち回ることができる天才だと言われています。
有田哲平はどんな人?生い立ちや経歴について
有田哲平は、1971年2月3日生まれ、熊本県熊本市東区出身です。
幼少期から日本舞踊を習うような裕福な家庭で育ち、小学生の時からお笑いが好きで、友人と一緒にコントを作り文化祭で披露しました。
また子どもの頃は病弱で、たびたび病気にかかっていたことも明かしています。
高校時代に現在の相方・上田晋也さんに出会って仲良くなり、お笑い番組の話やプロレスの話で盛り上がっています。
高校卒業後、上田さんから誘われて、1991年にお笑いコンビ・「海砂利水魚」を結成、1992年からスタートした「ボキャブラ天国」シリーズに出演し、人気が急上昇しました。
5.くりぃむしちゅーのANN(05年7月~08年12月)
初めて聴いた深夜ラジオ、もう4,5周は聴き直してる。この番組きっかけで放送作家志望として大学時代お金払ってまで勉強した時期もあった。レギュラー放送時代は有田がだいぶ陰鬱になってた時期で日本刀の話とか完全にイカれてる。定期的に特番での復活あり pic.twitter.com/nKZieXwpHP— ルル (@Swampert0715) February 22, 2019
また高校卒業後、明治大学法学部二部に現役合格していましたが、上田さんから「一緒に早稲田を目指そう」と誘われ、一浪。
早稲田大学を受験しましたが不合格だったため、立教大学に進学しています。
2001年にコンビ名を「くりぃむしちゅー」に改名、この頃有田哲平は適当な性格のキャラクターを確立しますが、上田さんが「うんちく王」という称号と共にブレイクします。
上田さんのブレイクでもめげることなく上田さんのバーターとして出演を続け、コンビやピンでも認知度を上げていきます。
その後、くりぃむしちゅーは2004年に再度訪れたお笑いブームの波に乗り、2004年には多くのレギュラー番組に出演する売れっ子芸人になりました。
2004年に改名後初の冠番組「くりぃむナントカ」が放送スタート、2005年には冠ラジオ番組「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」が放送しています。
2008年にはピン出演を含めた11本のレギュラー番組を合わせると、27本の番組に出演したと明かされ、MCを務める番組が増えました。
2009年にチーフマネージャーが設立した「ナチュラルエイト」へ移籍。
2016年12月5日に「しゃべくり007」で、一般女性との結婚を発表しました。
出身大学や学歴
- 熊本県 熊本大学教育学部付属小学校 卒業
- 熊本県 熊本大学教育学部付属中学校 卒業
- 熊本県 済々黌高校 卒業
- 立教大学 法学部 中退
中学時代は内気な性格で、漫画を描くことが大好きな生徒でした。
高校で現在の相方・上田晋也さんと出会っていて、当時から仲が良く、草むらでプロレスをやったり先生のものまねをしてふざけていたことを明かしています。
また高校時代はかなりモテていて、体育祭やラグビー部の試合があると他校から女子生徒が見に来て、弁当など差し入れがあるほどでした。
大学時代は友人ができず毎日一人で校内の喫煙所にいて、結果大学に馴染めず、中退しました。
有田プロレスインターナショナルの打ち切り理由は?
有田プロレスインターナショナルは2016年から放送されていた番組で、週刊プロレスを教科書代わりにプロレス初心者をゲストに迎え、プロレスから学ぶべき人生の教訓を伝授する番組です。
現在は打ち切りではなく一時休止状態で、コロナ禍でロケができず、ゲストが呼ぶことができないため、撮影が困難だからだと言われています。
有田哲平がプロレスを好きになったのは、7歳年が離れた兄の影響でビートルズや洋画など影響を受けていました。
その中で、プロレスのブームが訪れ、夜中家族が寝静まったあと、兄がこっそりテレビ中継を見せてくれ、長州力さんの「嚙ませ犬」発言を観てからどっぷりハマっていきました。
ローラとの熱愛報道の真相は?
有田哲平とローラさんは2012年、週刊誌で有田哲平のマンションから出てくる2ショット写真が掲載され、熱愛が報じられました。
ローラと有田が撮られた時のパロディをする脱力タイムズ好きすぎる。
アンタッチャブル柴田の次に好き pic.twitter.com/qs1AJmFyAo— ポコ丸 (@0JAAaGHHa1LNbev) April 5, 2021
実際、有田哲平はテレビ番組で「ローラが好き」という発言をしていたので信憑性が高いと言われていましたが、ローラさんが熱愛を否定。
マンションから出てきたのは、ゲームをするために泊まっていたと明かしていて、何も関係がなかったと明かしていて、有田哲平は狙っていたとしてもローラさんは仲のいい友人という関係だったのでしょう。
結婚した嫁との馴れ初めは?
有田哲平は2016年11月5日に「しゃべくり007」で、2年ほど交際していた一般女性と結婚したことを発表しました。
2人は2014年に合コンで出会い、嫁は有田哲平より一回り以上年下、数多くの合コンに参加していた有田哲平は「拾ってもらった」と語っています。
プロポーズに関しては「そろそろ結婚を発表しようと思うから婚姻届けを持ってきてくんない?」と切り出したと明かしました。
子供について
有田哲平は2020年12月に第一子となる女の子が誕生しました。
当時、有田哲平は49歳で父親になりましたが、相方・上田晋也さんの子どもたちや自身の姪っ子を溺愛していたので、念願の我が子だと言えます。
名前や写真は公開されていませんが、有田哲平ははっきりとした顔立ち、嫁も美人だという噂があるので、娘も可愛いのでしょう。
お笑いコンビ・くりぃむしちゅーの有田哲平についてまとめました。
元々上田さんのバーターとして出演することが多かった有田哲平ですが、今ではピンでの冠番組を多く持つ人気芸人になりました。
今後お笑い界を引っ張っていく存在と言っても過言ではないので、今後の活躍にも期待しましょう。