勝村政信の結婚した嫁や子供について!若い頃や現在も調べてみた

  • 勝村政信は1963年7月21日生まれ
  • 1985年4月14日から1996年10月6日、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に出演し、知名度を上げる
  • 2012年から、「ドクターXシリーズ」にて、加地秀樹役で出演し、2021年10月7日に、公式スピンオフドラマ『ドクターY〜外科医・加地秀樹〜』第6期が配信

勝村政信のプロフィール

名前 勝村政信 (かつむらまさのぶ)
職業
所属事務所
誕生日 1963年7月21日
年齢 61歳
身長 173cm
血液型 A型
出身地 埼玉

 

性格

  • どこか抜けてる
  • 責任感が強い
  • 真面目

大人気ドラマシリーズである「ドクターXシリーズ」や『HERO』など、主役を引き立てる名脇役として、多く出演している勝村政信さん。

そんな勝村政信さんですが、ネット上では、性格が悪いとウワサされています。

そして、その理由の代表となっているのが、2020年7月18日に急逝した三浦春馬さん関連で、三浦春馬さんが亡くなれた後、同月31日に、勝村政信さんを始めたとした2019年に公開された舞台『罪と罰』メンバーで、「三浦春馬さんの追悼会」を開催しました。

「三浦春馬さんの追悼会」終了後、店の公式ツイッターでは、三浦春馬さんへ贈った寄せ書きと集合写真が投稿されており、寄せ書きでは、「でかちんくんへ 愛してるよ 永遠に 勝村政信」と書かれているほか、写真も、皆が笑顔でピースサインをしていることから、「本当に追悼する気があるのか」と、ネット上で大炎上してしまいます。

こうした事態を受け、2020年8月22日には、勝村政信さんが事務所を通じて謝罪文を提出しています。

ちなみにネット上では、今回の炎上騒動に対して、疑問の声も上がっています。

また、三浦春馬さんは生前、勝村政信さんとの関係性をコーチと選手みたいな関係性で、「表現の道の多様さを教えていただきました。」

と、明かしていました。

 

特技

  • サッカー
  • 料理

勝村政信さんは、サッカーは生活の一部と明かしており、日々の体調管理のベースはサッカーを中心にやっているほか、「芝居とサッカーは似ている」とも話しています。

「サッカーのポジショニングって、演劇とも関係があって、演劇だと頭の良い人ほど、良い位置につく。実はサッカーもそうで、人によって自分がどこに動いたらいいのか、この人だったらここにいても、パスを出してくれるっていう信頼性も生まれる。身体の使い方も、ボールを使うと自然と上手くなっていくんですよ。僕独自の考え方ですけど。」

と、2022年2月26日に掲載された『fumu fumu news』で、語っています。

また、「俳優は自分自身の人生だけを生きることができない、数少ない職業」とも語り、責任を持ち舞台で遊ぶことを心がけていると、2012年4月3日に掲載された『朝日新聞DIGITAL』で、明かしていました。

さらに、勝村政信さんはケンカが強い逸話があると、2017年3月5日にフジテレビで放送された『ボクらの時代』で、池田成志さんが明かしていましたが、現在、勝村政信さんは誰に対しても怒りの感情が沸かないそうで、それは娘さんの存在が大きく、娘さんを守る際、怒りの感情だと守り切れないと思ったと、語っています。

ちなみに、勝村政信さんがまだ劇団員として活動していた時、『GEKISHA NINAGAWA STUDIO』時代は松重豊さん、『第三舞台』時代に筧利夫さんがいたと、明かされていました。

趣味

  • テニス・サッカー・フィットネスなどのスポーツ全般
  • サッカー観戦
  • 釣り

勝村政信さんは2006年5月17日より、自身のブログ『テニスボーイは憂鬱』を2011年7月30日まで更新しており、その中のプロフィールで、趣味は「サッカー・テニス・フィットネスなどスポーツ全般」と明かしています。

また同ブログ内では、サッカーとテニスの話題が多く取り上げられているほか、釣りについても語っていました。

さらに、ペットについても語られており、勝村政信さんは3回ペットを飼った経験があるそうで、1回目はハツカネズミ、2回目はインコで、2006年5月24日からはイヌの「のぼる」を飼っているとのこと。

そのほか、2020年7月16日にテレビ朝日で放送された長寿トーク番組『徹子の部屋』では、目の前で男の子が倒れてしまった際、「ドクターXシリーズ」の撮影経験を活かし、咄嗟に救命措置を行ったと、振り返っています。

年齢

勝村政信さんは、1963年7月21日生まれなので、2022年2月現在58歳になります。

そんな勝村政信さんと同じ58歳の有名人は、

  • 俳優の唐沢寿明(からさわ としあき)さん
  • 女優の真矢ミキ(まや みき)さん
  • お笑い芸人の松本人志(まつもと ひとし)さん
  • タレントの未知やすえ(みちやすえ)さん
  • 俳優の加藤雅也(かとう まさや)さん

と、皆さん芸能界で大活躍されている方達ばかりですね!

デビューのきっかけ

高校卒業後、勝村政信さんはスポーツ用品の問屋で2年近く働いていましたが、ある日、自分の席から部長の席を見た際、「あそこまで、20年かかるのか」と思ったそうで、先のことも考えずに、会社を辞めたと言います。

その後は、当時人気だったファッションモデル業に進もうとしますが、身長が足りないと思い断念。

そして、勝村政信さんは唐突に「芝居がやりたい」と感じたそうで、俳優養成所の『無名塾』や劇団の『文学座』を受けたと、2012年4月3日に掲載された『朝日新聞DIGITAL』で、語っていました。

けれど良いところまで行ったものの、どちらも受からなかったそうで、困った勝村政信さんは仲の良かった女性に、「就職しようかな」と弱音を吐いたところ、女性から「こんな劇団があるよ」と教えてもらい、そのまま、蜷川幸雄さんが主宰の『GEKISHA NINAGAWA STUDIO』に入団します。

こうして、棚ぼた的な形で『GEKISHA NINAGAWA STUDIO』に入った勝村政信さんでしたが、蜷川幸雄さんは自他ともに厳しい人で有名であり、演技指導に熱が入りすぎて、口より先に物が飛んでくるがしょっちゅうだと言い、勝村政信さんは当時、「毎日の稽古は、本当に地獄のようでした。『こんな屈辱を味わうくらいなら、蜷川さんを殴って辞めてやる!』ぐらいに思っていましたね。」

と、2022年3月3日に掲載された『AERAdot.』で、語っていました。

一方、そんな理不尽な稽古にも関わらず、勝村政信さんは劇団を辞めずにいましたが、その理由が「強いて言うなら、悔しかったから」と、明かしています。

また、唐突に浮かんだ「芝居がやりたい」という気持ちだけで進んできた勝村政信さんには、本を読むという習慣がなく、蜷川幸雄さんの言ってることが分からなかったといいます。

そんなあるとき、蜷川幸雄さんが勝村政信さんにいつも通りまくしたていると、かろうじて「ヤン・コット」という言葉が聞き取れ、勝村政信さんはその言葉を頼りに古本屋に行き、「ヤン・コット」が載っている古本を探しました。

すると、ポーランドの評論家がシェイクスピアのことを書いてある本を見つけ、勝村政信さんはその本を読み進め、「よく分からないけど、なんとなく分かるような気がした。そこから、物語の面白さに目覚めました。」

と語っています。

『GEKISHA NINAGAWA STUDIO』で2年の修行を積んだ後、勝村政信さんは鴻上尚史さんの目にとまり、鴻上尚史さん主宰の劇団『第三舞台』に誘われます。

勝村政信さんはそのことを蜷川幸雄さんに報告すると、蜷川幸雄さんは激怒し、「俺は、お前も鴻上も許さない」と言われ、そのまま蜷川幸雄さんとは、7年に渡って絶縁状態になったと、2017年3月5日にフジテレビで放送された『ボクらの時代』で、明かしていました。

行き場をなくした勝村政信さんは、劇団『第三舞台』に参加しますが、その際、勝村政信さんが1番に感じたことは、鴻上尚史さんの稽古は蜷川幸雄さんとは真逆で、怒鳴らない代わりに、真綿で首を絞めるようなダメ出しを食らわせてきたと言い、そのあまりの酷い言いように、勝村政信さんは心の中で呪いをかけたぐらいだと、明かしていました。

そんな2人の師匠に揉まれたため、勝村政信さんは舞台について、「若い人達みたいな『舞台を楽しむ』という感覚は、僕にはなくて。僕の場合『どう演出家を納得させるか?』みたいな、『舞台は闘い』という気持ちが、今も抜け切れていないですね。」

と、2022年2月26日に掲載された『fumu fumu news』で、語っています。

そして、2人の師匠から受けた全く違うお芝居の感覚を、上手く融合させてくれたのが、演出家としても活躍した女優の木野花(きの はな)さんだったそうで、「僕は蜷川さんのところでも、鴻上さんのところでも、多分スゴク中途半端だったと思うんですが、木野花さんの演出を受けて、全てが上手く結びつけてくださったので、その3人が、今の僕を作ってくれました。」

と、同記事で明かしていました。

3人の師匠により、遂に完成した勝村政信さんは、舞台『朝日のような夕日をつれて’87』で俳優デビューを飾ると、「得がたいキャラ」としての評が段々とついていき、遂に『第三舞台』の看板役者に成長。

そして今度は、番組プロデューサーの目にとまったことで、1985年4月14日から1996年10月6日にかけて、日本テレビで放送された『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に出演し、多くの人に認知されるようになり、現在の大活躍に繋がっています。

勝村政信はどんな人?生い立ちや経歴について


勝村政信は1963年7月21日生まれの、埼玉県出身です。

幼少期は割と良い子だったそうで、お父様の勧めで野球に励んでおり、小学6年生には、町内会の野球チームのキャプテンを努め、町内の代表として、当時の『沖縄海洋博』に連れて行ってもらったと、2006年7月26日に更新された「勝村政信さんのブログ」などで、明かされていました。

また、お兄様も野球をしており、お兄様は野球の神童と呼ばれていたと言います。

しかし、お兄様は高校入学後グレたそうで、野球を辞めてしまい、勝村政信さんもお兄様の影響を受け、中学時代からはやんちゃ者な性格になり、サッカーにも打ち込み始めたと、明かしていました。

お兄様はグレていましたが、勝村政信さんには優しかったそうで、勝村政信さんはお兄様の不良カバンを愛用したほか、お兄様はうなぎ店の『伊勢定』で、勝村政信さんにうな重を食べさせてくれたと、2012年8月10日にTBSで放送されたクイズトークバラエティ番組『ぴったんこカン・カン』で、振り返っています。

米倉涼子との仲良しエピソード

米倉涼子さんとは、2010年10月21日から12月9日にかけて、テレビ朝日「木曜ドラマ」枠で放送された『ナサケの女〜国税局査察官〜』で初めて共演し、また2012年から始まった「ドクターXシリーズ」でも、長く共演し続けています。

そんな2人は、ほかの「ドクターXシリーズ」の共演者と同様、公私ともに仲が良いとそれぞれ明かしており、勝村政信さんは「米ちゃんも含めて、『ドクターXシリーズ』の共演者は、ずっと一緒にいる感じですね、本当の親戚といってもいいぐらい。普通に私生活の相談とかもしてますし、この間もみんなで一緒にご飯を食べに行って、その際、僕だけ仕事で遅くなったとき、西田さんから電話がかかってきて、『ばか者、なんでお前は来ないんだ!』って言われました。みんな、そんな感じの仲間です。」

と、2018年9月15日に掲載された『MANTAN WEB』で、語っていました。

一方、米倉涼子さんも同じことを語っており、「勝村政信さんも含めた『ドクターXシリーズ』メンバーに久しぶりに会っても、『元気にしてた?』みたいな会話は二言、三言ぐらいの間で終わって、すぐ他愛もない世間話になっちゃう。そんなもの凄い安心感の中で、撮影させてもらっていますね。」

と、2020年8月18日に掲載された『映画ナタリー』で、明かしています。

また、米倉涼子さんのインスタグラムでは、勝村政信さんも含めた「ドクターXシリーズ」の共演者とスリーショット写真が投稿されており、2人の仲の良さに、ファンからも温かいコメントであふれていました。

サッカーの実力は三菱でコーチをするレベル?

勝村政信さんは中学時代からサッカーを始めており、勝村政信さん自身も「サッカートークなら、いつまでもできる。サッカーバカなんだもん。」

と告白するほどのサッカー好きで、現在も同じサッカー好きな俳優達とともに、フットサルをしています。

特に、2018年2月20日に急性心不全で亡くなった大杉漣(おおすぎ れん)さんとも仲が良かったそうで、同年6月に行われたワールドカップのコロンビア戦では、大杉漣さんの写真を抱え観戦し、ファンからは、「大杉さんを連れて行ってくれて、ありがとう。」

との声が挙がっていました。

また、2011年4月2日からテレビ東京で放送されているサッカー関連番組『FOOT×BRAIN』のMCを務めているほか、2016年12月1日に掲載された『KING GEAR』の記事では、週1~2日の練習日に仕事が入った場合のみ、平日の夕方の暇な時間を見つけ、「トリプレッタ」というチームの、小学生カテゴリーなどに混ざって蹴っていると、明かしています。

さらに、2020年に始まったコロナ禍による外出自粛が叫ばれる中では、勝村政信さんは「このまま行くと、街クラブが存続できなくなる」と考え、「FOOT×BRAIN for tomorrow〜明日のために頑張ってるみんな〜」というプロジェクトを、勝村政信さんは『FOOT×BRAIN』スタッフと立ち上げ、街クラブ同士を繋ぐ活動をしています。

その結果、クラウドファンディングを立ち上げた企業も現れており、プロジェクトに対して、賛同や感謝の声が寄せられていました。

ちなみに、勝村政信さんは三菱でコーチはしていません。

破門になった俳句の実力

2012年10月11日から毎日放送制作TBSテレビ系列で放送されているバラエティ番組『プレバト!!』の中で、一躍有名になったのが、俳人の夏井いつき(なつい いつき)さん。

「俳句の才能査定ランキング」で査定を担当する夏井いつきさんは、俳句の添削・評価ポイントを発表する際、毒舌とも言える厳しい口調で使いながらも、何がいけないのかを分かりやすく解説することで、人気を博しています。

そんな夏井いつきさんと勝村政信さんは、2012年に放送されたNHKラジオ『オトナの補習授業』で共演しており、そこで2人は俳句の師弟関係になったそうで、俳句の入門としてEメールのやりとりを続けていました。

しかし、勝村政信さんは夏井いつきさんの助言をあまり聞かなかったそうで、怖いもの知らずな勝村政信さんは五・七・五の前句を書き、それに夏井いつきさんがウィットに富んだ七・七の付句を返す日々が続いたと言います。

ちなみに、そんな2人のやりとりは本にもなっており、「マルコボ.コム」より『俳優勝村政信×俳人夏井いつき:付句のある往復Eメール書簡集』として発売されていました。

そしてある日、2人の間に決定的な溝ができてしまいます。

それが、勝村政信さん『プレバト!!』2回目の出演となる2017年1月26日の放送で、勝村政信さんは「お題:横浜、スケートリンク」で「芸人が すべり楽しむ 氷上で」と詠み、夏井いつきさんはその句のあまりの酷さに、「怒りを超えて殺意を覚える。今日を限りに破門にしておきます。」

と激怒してしまいました。

その後、3回目の出演となった2018年3月8日の放送で、勝村政信さんは前回の放送以降、本当に夏井いつきさんから連絡来なくなったと明かし、夏井いつきさんも、「また最下位だったら、あんたの電話番号消すよ。」

と、番組内で宣告しています。

一応、勝村政信さんは「お題:卒業式」で「校長の 眼鏡にうつる 春の風」と詠み、「才能アリ1位」を獲得し、汚名返上を果たしていますが、腹の虫が治まらない夏井いつきさんは、「私の言ったことを素直に聞けば、できるじゃないか。なぜ、今まで私の時間を浪費したのか?」

と、複雑そうに説教していました。

そして、夏井いつきさんの助言を聞き始めた3回目以降、勝村政信さんは「才能アリ」を4回獲得しており、2021年8月19日の放送でMCの浜田雅功(はまだ まさとし)さんからも、「先生、勝ちゃんはこれで『才能アリ』を4回獲ってますよ。そろそろ、特待生とかどうですか?」

と確認しますが、夏井いつきさんは「特待生も破門を解くのも、『炎帝戦でベスト10』と申したはず、あの時の句は酷かったです。勝負どころを間違えてますよ!」

と、言われてしまっています。

勝村政信は偏食でしいたけが嫌い?

2019年5月11日にフジテレビで放送されたバラエティ番組『関ジャニ∞クロニクル』で、勝村政信さんは「世の中の食べ物の半分ぐらいが、食べられない」と、告白しています。

また同番組では、娘も偏食であることを明かしており、2人で回転寿司へ行くと「マグロの赤身を延々頼みながら、たまにトビコ、イクラ、イカのみ食べる」と、語っていました。

そんな勝村政信さんは苦手な食べ物として、メロンやトリュフ、シイタケなどを挙げており、特にシイタケは、2011年1月17日から2013年10月20日にかけて、フジテレビで放送されたバラエティ番組『ほこ×たて』で、「絶対誰でも食べられるしいたけvs絶対しいたけ食べられない勝村」という企画の中3回に渡り対決していますが、克服することができず、最終戦では、「シイタケは、シイタケを美味しいと思う人だけが、食べればいい。」

と言い放っています。

ちなみに、偏食な勝村政信さんですが、料理は上手いとのこと。

勝村政信の若い頃がイケメン!

現在でも、若々しい顔が印象的に映る勝村政信さんですが、若い頃はさらにイケメンと、話題になっており、ネット上では、

  • 若い頃からずっと格好いいなぁ
  • 勝村政信イケメンすぎない…?
  • 北野武「ソナチネ」鑑賞。若すぎて、勝村政信が最初誰だか分からなかった

との声が寄せられています。

また、若い頃の勝村政信さんは、俳優の満島真之介(みつしま しんのすけ)さんに似ているという声も挙がっていました。

勝村政信の現在

主役を引き立てる名脇役として、欠かすことのできない勝村政信さんは、2012年から始まった「ドクターXシリーズ」で、腹腔鏡の魔術師と呼ばれるほどオペ技術は高いが、金に汚い外科医・加地秀樹役で出演していますが、その人気振りは高く評価され、2016年からはテレ朝動画などのインターネットテレビで、加地秀樹を主人公とする「ドクターYシリーズ」が展開。

最新作となる『ドクターY〜外科医・加地秀樹〜』第6期は、2021年10月7日にTELASAで配信されていました。

そのほか2022年2月現在、勝村政信さんの出演がいくつか決まっており、2022年3月3日から4月10日にかけて舞台『ライフ・イン・ザ・シアター』、2022年4月3日にTBSにて映画『七つの会議』の放送、さらに2022年5月13日からBSプレミアムにて放送される時代劇テレビドラマ『大岡越前6』に、出演となっています!

出身大学や学歴について

  • 蕨市立第一中学校
  • 埼玉県立浦和北高等学校

勝村政信さんの出身校は、中学校から明かされています。

高校時代も変わらず、勝村政信さんはサッカーに打ち込んでいましたが、選手で食べていけるようにはなれなかったと、2012年4月3日に掲載された『朝日新聞DIGITAL』で、振り返っていました。

しかし高校時代の経験で、厳しい上下関係のことや、現在にも繋がる知識を得ており、この経験が財産の1つであると、明かしています。

また、学生時代全体として、活字とは無縁の生活をしており、本は、読書感想文を書くときぐらいしか読んだことはないと、2022年3月3日に掲載された『AERAdot.』で、振り返っていました。

高校卒業後は、スポーツ用品の問屋さんに就職しており、大学へは進学していません。

そのほか、勝村政信さんの出身中学は、「THE ALFEE」の高見沢俊彦さんやフリーアナウンサー町 亞聖さん、元AKB48の松井咲子さんの出身校であると、2016年11月27日に開催された「創立70周年記念蕨市立第一中学校同窓会」で、当時の市長の挨拶にて語られています。

兄など家族構成

勝村政信さんの家族構成は、ご両親と、お兄様が1人いることが、明らかになってます。

ご両親は、佃煮屋『日本橋鮒佐』の職人だったお父様と、硫黄島から疎開後、『日本橋鮒佐』の店員だったお母様で、『日本橋鮒佐』の4代目店長さんが2人をくっつけようと画策していましたが、その前にくっついてたと、2012年8月10日にTBSで放送されたクイズトークバラエティ番組『ぴったんこカン・カン』で、店長さんが明かしていました。

お父様は野球が大好きだそうで、勝村政信さん兄弟を野球選手にするのが夢だったと言います。

そのため、小学校時代に兄弟は野球少年になり、どちらも野球の中心選手に成長しますが、野球の神童と呼ばれたお兄様が高校に入るとグレはじめ、それを期に、兄弟2人とも、野球から離れてしまいました。

ですが、お父様はさほど気にしなかったと、勝村政信さんは明かしており、兄弟が野球が離れた後も、町内会でソフトボールを毎週参加していたり、子供達のさらに子供達世代に、野球を教えていると言います。

しかもそれだけではなく、ミニテニスやグランドゴルフなども嗜んでいるそうで、70歳以上の高齢にも関わらず、ほとんど家にいない、町内会でもちょっと顔の知られたおじいさんだと、2006年7月26日に更新された「勝村政信さんのブログ」で、明かされていました。

勝村政信さんは、お父様のことを「酒も飲まず、タバコも吸わず、人生を真っ直ぐに生きて来た父。『佃煮』も多くの方が食べてくださっていた。父よ、あなたは強かった。」

と語っています。

ちなみに、スポーツ全般を嗜んでいるお父様なので、勝村政信さんはお父様の誕生日のプレゼントは悩まずにすむと、同ブログで明かしており、迷わずスポーツ用品を贈ったとのこと。

結婚した嫁は勝村えみ子で馴れ初めは?

勝村政信さんは、まだまだ俳優として駆けだしの頃だった1992年に、現在は日本語学校教師として活動している、同い年の勝村えみ子さんと結婚しています。

勝村えみ子さんは、岩手県陸前高田市の出身で、高校までは陸前高田市にいましたが、大学へ進学するため上京し、1年の浪人を経て名門の青山学院大学へ進学。

進学後、勝村えみ子さんは知り合いから頼りにされることが多く、学習塾を手伝ったり、卒業後はOLとして勤め上げていますが、勝村えみ子さんは、「自分の中での知識が、段々と枯渇していくのを感じた。私ももっと勉強しないと、教えるものがないって。」

と感じていたそうで、勝村えみ子さんは26歳の時に、同級生だった女性と2人でアメリカへ渡りました。

アメリカでは2年ほど滞在しましたが、肝心の語学スクールへは半年しか通えず、そのほとんどが、同居していた友達の知り合いであるカメラマンに誘われたシューティングモデルとしての活動だったそうで、日本へ帰国後も、そのままモデル業をし続けています。

勝村えみ子さんが勝村政信さんと知り合ったのはこの時で、2人は友人の紹介で出会い、勝村政信さんはさらに自分の友達へ、勝村えみ子さんを紹介する予定でしたが、勝村政信さん自身が先に、勝村えみ子さんに一目惚れしてしまい、その日のうちに、「結婚しよう」と、告げられました。

そんな唐突な告白でしたが、勝村えみ子さんはこの時、「この人じゃなかったら、目標も定まらずフラフラしていた私と結婚してくれる人なんて、他にいないかもしれない。それにこの人から、必要とされてるんだってことが、伝わってきたんです。」

と明かしており、2人はそのまま同棲を始めたと、『BASIC BEAUTY』の「Article No.18 MY HERO’S INTERVIEW Vol.3」で、勝村えみ子さんが語っていました。

そして4ヶ月の同棲を経たある日、勝村えみ子さん一緒に住んでることをご両親に言わないと思い立ったそうで、その際、勝村政信さんが勝村えみ子さんのお父様へ電話を掛けると、お父様は「それならしっかりけじめをつけて、入籍してくれないか?」

と勝村政信さんに問いかけ、勝村政信さんはその場で「分かりました」と答え、そこから結婚に至っています。

結婚してから4年後、2人の間には娘さんが生まれるなど、結婚生活は順調でしたが、2010年頃から、性格の不一致を理由に別居してしまいます。

しかし、2人の仲が悪いワケではないと、夫婦ともども明かしており、奥様は勝村政信さんから離れる際、「死ぬ時は側にいるから。」

と告げ、娘さんが行き来しやすいように、勝村政信さんのご近所に居を構えており、勝村政信さんも、家のことや生活に関わることを奥様に尋ねたり、郵便物や頂き物のおすそ分けを、いつも持って来てくれたりして、「お互いに何をしているかは、割と分かっているつもり」だと、奥様が同記事で語っていました。

そんな夫婦ですが、また近いうちに同居しようかなと、奥様は考えているそうで、そのきっかけになったのが、2011年3月11日に発生した東日本大震災だったと言います。

東日本大震災では、奥様の故郷である陸前高田市が壊滅的な被害に遭っており、家族や友人と連絡が取れずに困っていた奥様に、勝村政信さんは「3日間休みが取れたから、行こう!」

と告げ、勝村政信さんの運転する車で、陸前高田市へ向かいました。

その途中、奥様は突然景色が変わった瞬間があったと語っており、凄まじい光景を目の当たりにしてしまった奥様は、涙が止まらなかったそうですが、勝村政信さんは奥様の手を黙って握ったと言い、本当に心の支えになってくれたと、明かしています。

陸前高田市では、奥様のご両親は避難所へ無事に避難されていましたが、残念ながら、犠牲者となった友人や親族もおり、奥様はこれらの経験から、「何かあった時に、一番頼りになる存在というのは、家族なんだ。」

と思い直したと、『BASIC BEAUTY』の「Article No.18 MY HERO’S INTERVIEW Vol.4」などで、語っていました。

ちなみに、別居の同時期、勝村政信さんは小島聖(こじま ひじり)さんとの不倫疑惑が飛びだしていますが、勝村政信さんや周りの人が、その疑惑を否定しています。

勝村政信の娘

勝村政信さんと奥様の間には、1996年に娘さんが誕生しています。

娘さんは幼い頃、家で見ているテレビに勝村政信さんが写っていると、勝村政信さんに会おうと、テレビ画面におでこをしょっちゅうぶつけていたと、明かされていました。

ちなみに、勝村政信さんはそれを聞くと、娘さんに真剣な表情でテレビの仕組みを語ったと言います。

そんな娘に真摯に向き合う勝村政信さんは、娘のことを溺愛しているそうで、家では毎日ハグをし、一緒にショッピングをしたりしていると、2020年7月16日にテレビ朝日で放送された長寿トーク番組『徹子の部屋』などで、語っていました。

また勝村政信さんは娘さんに、「何事でも一生懸命やれ。そうすれば、カギを獲得できる。そのカギがどの扉のモノか分からなくても、カギさえあればいつか開く扉が見つかる。」

と教えていると、2012年4月3日に掲載された『朝日新聞DIGITAL』で、語っていました。

奥様も、娘さんのことを『BASIC BEAUTY』の「Article No.18 MY HERO’S INTERVIEW Vol.3」の記事内で語っており、夫婦の別居については、「とにかく、二人は性格が合わない」と、中学生だった娘さんに指摘されたと明かしています。

また、「子育ても初めてだから、分からないなりに楽しんでやろうって決めていて、幼稚園や小学校選ぶ時も、全部私がリサーチして、娘と一緒にいたけど、今になって、ちゃんと育てられてないことに気づいたかな。私の教育だから、ちょっと……女子力が足りない。」

と語っていました。

HEROの評判

『HERO』は、フジテレビで2期にも渡って放送された大人気シリーズのテレビドラマです。

第1期は2001年1月8日から3月19日にかけて、特別編が2006年7月3日に、第2期は2014年7月14日から9月22日にかけて放送されたほか、劇場版として、2007年9月8日に第1作、2015年7月18日に第2作が公開されました。

木村拓哉(きむら たくや)さんが主演を務め、自身の正義と価値観で捜査を行う型破りな検察官・久利生 公平(くりう こうへい)と、彼とコンビを組む検察事務官、同僚検事達の活躍を描いた作品です。

https://www.youtube.com/watch?v=SQTGR9SzB3s

勝村政信さんは、東大卒業のエリート検事なのに、周りから上手く操られていることが多い、江上達夫(えがみ たつお)役で出演。

そんな憎めない仲間として出演した勝村政信さんは、『HERO』内のコメディリリーフとして活躍しており、ネット上では、

  • 勝村政信さん超好き
  • でっかいバイクに乗る勝村政信かっこいい〜〜
  • 間の抜けた仲間役、それが勝村政信さんw

との声が挙がっていました。

責任感が強いながらも、どこか抜けているように見える勝村政信さん。

そのギャップが、主役を引き立てる名脇役としての強みだと思います。

そんな作品へひと味差し込む勝村政信さんに、これからも目が離せません!