唐沢寿明の嫁や息子と娘について!本名や愛車も調べてみた

  • 唐沢寿明は1963年6月3日生まれ
  • 俳優になったきっかけはブルース・リーの映画
  • ドラマ「愛という名のもとに」で大ブレイク
  • 車が好きでJAF国内A級ライセンスを持っている

唐沢寿明のプロフィール


名前 唐沢寿明 (からさわとしあき)
職業
所属事務所
誕生日 1963年6月3日
年齢 60歳
身長 175cm
血液型 A型
出身地 東京

 

性格

  • 仕事に対してストイック

台本を完璧に覚えてくることで有名な唐沢さん。

どんなに長いセリフであっても、現場に台本は持ち込みません。

声優のアフレコでも台本は持ち込まなかったと言います。

2009年に放送されたドラマ「不毛地帯」では、ロシア語のセリフも発音とともに完璧に覚えて現場入りしています。

唐沢さんの耳は、発音を再現する力に優れていて、ロシア語の指導講師が指導する必要性が全くないことに驚いたというエピソードがあるほどです。

それだけではなく、舞台公演や撮影がある期間は飲み会の誘いに一切答えないといいます。

また、2014年の映画「イン・ザ・ヒーロー」では、半年に渡って減量と体力づくりをしてスーツアクターを演じています。

仕事に対して真摯に向き合うエピソードが多いことから、仕事に対してストイックな性格であると言えるでしょう。

 

特技

  • 空手

唐沢さんは歌唱力が高いことで有名です。

1995年に放送されたドラマ「輝け隣太郎」では主題歌「2人のすべて」を樹木希林さんとデュエットしています。

1999年に公開された映画「トイ・ストーリー2」では挿入歌「君はともだち」のウッディ・バージョン。

そして、主演を務めた映画「20世紀少年」では演じた役柄(遠藤健児)の名義「Kenji」で、「Bob Lennon」を歌っています。

他にも自身の名義でCDアルバムをリリースしていたり、大竹しのぶさんのアルバム「Compassion」にデュエット曲が収録されていたりと、歌に関する仕事もこなしています。

趣味

  • ブルース・リー
  • 自動車(クラシックカー)
  • 食事

唐沢さんのブルース・リーへの想いは強く、中野英雄さんがその想いの強さをブログで語っています。

唐沢さんと中野さんの自宅で「ドラゴンへの道」や「燃えよドラゴン」を見た時のことです。

唐沢さんは英語のセリフを覚えていたり、アクションシーンで叫んだりしていたそう。

中野さんは自身もブルース・リーへの想いは自負していましたが、唐沢さんのそれはレベル違いだったと、その時のエピソードを紹介しています。

また、唐沢さんは自動車愛好家としても有名で、特にヒストリックカーやクラシックカーと呼ばれる旧車が好きです。

トヨタ2000GTの後期型やフェラーリF355、アストンマーティンDB4、フォルクスワーゲンのビートルなどを所有しています。

本名

唐沢さんの本名は唐沢潔(からさわきよし)です。

「寿明」は芸名で、三生社に所属していた時に名づけられました。

三生社の社長が唐沢さんに黙って占い師に相談したところ、「寿明」の名前に決まったといいます。

デビューのきっかけ

唐沢さんが俳優になろうと思ったきっかけは、ブルース・リーの映画でした。

中学生の頃に見たブルース・リーの映画に影響を受け、彼のようなアクション俳優になりたいと思うようになります。

アクション俳優を志していた唐沢さんは、1980年(高校1年時)に東映アクションクラブに入所します。

自分の道はこれ以外ないと、自分自身を追い込むため、翌年には高校を中退。

本格的なデビューは、1987年の舞台「ボーイズレビュー・ステイゴールド」です。

唐沢寿明の生い立ちや経歴

唐沢さんは1963年6月3日生まれの、東京都出身です。

幼少期はとても活発でやんちゃな男の子だったようで、人を笑わせることが大好きで「落語家になれ」と言われたこともあるとか。

小学校時代には空手を習っており、それがアクション俳優としての下地にもなっていたのでしょう。

アクション俳優になりたくて、高校1年生で東映アクションクラブに入所。

2年生の時には高校を中退し、本格的に俳優を目指すようになります。

唐沢さんはすぐに知名度を上げたわけではなく、無名時代が長く続きます。

スーツアクターを中心に、エキストラやスタントマンのような仕事をして、ケガするのが日常茶飯事という生活でした。

そして、1988年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「純ちゃんの応援歌」で、25歳の時に知名度が上がり始めます。

一気にブレイクしたのは、1992年にフジテレビ系列で放送された人気トレンディドラマ「愛という名のもとに」で演じた高月健吾役です。

その後、1995年12月15日に女優の山口智子さんと結婚しています。

実家のエピソードや兄弟など家族構成

唐沢さんの実家の家族構成は、両親と兄、弟の5人家族で、唐沢さんは3人兄弟の真ん中っ子です。

両親は東京の荒川区で焼き肉屋を営んでいました。

しつけに厳しい父親で、箸の持ち方から食べる時の姿勢など、食事マナーにとても厳しい人だったと語っています。

とても短気で、怒った時にはテーブルをひっくり返して物を投げつけることもあったとか。

両親の喧嘩はいつも激しく、唐沢さんを含めた子供たちで仲裁をしていたという話です。

高校2年生の時に家出同然で叔母の家に居候をしたのも、その喧嘩を仲裁しようとした結果でした。

思わず言ってしまった「親父が出ていけばいい!」に対して、母親から「あんたが出ていけ!」と言われてしまったと…。

両親ともに現在は他界していますが、唐沢さんが俳優として成功してからは関係も修復されています。

出身校・学歴

  • 台東区立東泉小学校
  • 台東区立下谷中学校
  • 東京都立蔵前工業高校中退

小学生の頃の唐沢さんは、周りの人を笑わせるのが大好きでした。

授業中の挙手も横に挙げたり、超音波のような音で授業を邪魔したり…。

その上、授業中には自作のギャグ漫画「怪傑チョコマン」を描いていたと言います。

結婚した妻は山口智子で自宅は?

唐沢さんは、1995年12月に女優の山口智子さんと結婚しました。

2人が出会ったのは、山口さんが初主演を務めた作品、NHK朝の連続テレビ小説「純ちゃんの応援歌」です。

撮影が終了した頃から親密な中になり交際へと発展しました。

唐沢さんの山口さんに対する第一印象は「デカい女」だったとか。

山口さんは逆に「日本一顔の小さい男」だと思ったと語っています。

2人の交際が発覚したのは、山口さんの自宅に強盗が侵入したことがきっかけです。

宅配業者を装った2人組が自宅に押し入ろうとしたところを、一緒にいた唐沢さんが撃退したとのこと。

その後、唐沢さんは樹木希林さんに山口さんとの結婚について相談しています。

交際期間が長いことを指摘して「いつでもいいと思ってたらキリがない」と励まされ、不動産屋も紹介してもらったと語っています。

目黒区にある2人の自宅は、その時に紹介してもらったプール付きの物件です。

娘や息子について

唐沢さん夫婦には子供はいません。

唐沢さんは父親との不仲、山口さんは両親の離婚があり、複雑な家庭環境で育っています。

そのため、山口さんは「血の結びつき」に対して全く信用しておらず、「親になりたくない」とまで語っています。

真相はわかりませんが、2人が相談に相談を重ね、子どもは作らない、親にはならないということを決めたのでしょう。

難しい問題を夫婦2人で会話を重ね決められるのは、きっと唐沢さんと山口さんがお互いにきちんと向かい合っているからだと思います。

愛車の2000gtを寄贈したの?

自動車愛好家としても有名な唐沢さん。

初めて購入した車は日産の「Be-1」です。

1985年に開催された東京モーターショーで発表され、限定1万台の発売でした。

愛車2代目はホンダの「NSX」です。

当時の国産車の中では最速といわれ、価格は800万円。

この値段にもかかわらず、日本はバブル景気の中だったために3年先の予約が入るほどでした。

唐沢さんは「NSX」のオートマチック車とマニュアル車、そしてタイプRなどを乗りついでいます。

3代目の愛車はトヨタの「2000GTロードスター」です。

この車は、2021年10月にトヨタ博物館に寄贈しています。

生産期間が1967年から1970年の3年間と短く、生産数も合計で337台と希少価値の高い車です。

唐沢さんの「2000GTロードスター」は水没車をベースに、2004年、トヨタとTDRが制作した公式のカスタムモデルで世界に1台のみの存在となっています。

トヨタ博物館では2022年3月末まで、クルマ館のエントランスで展示されている予定です。

他にも下記の車を愛車としています。

  • ポルシェ「ポルシェ356A コンバーチブルD」
  • ポルシェ「356 pre-A スピードスター」
  • フォルクスワーゲン「ビートル」
  • フォルクスワーゲン「グローリービートル」
  • マセラティ「クワトロポルテ」
  • メルセデスベンツ「SLK230 コンプレッサー」
  • ダイハツ「コペン」
  • マツダ「ロードスター」

唐沢さんはただの車好きなだけではなく、運転も大好きで、JAF国内A級ライセンスも取得していて、サーキットレースにも出場しています。

また、2019年には自らが発起人となり、「GO!GO!ラリー in 東北」というクラシックカーラリーを開催しました。

走行ルートは2011年の東北地方太平洋沖地震で被災地となった東北地方です。

参加者による宿泊や食事での経済循環はもちろんのこと、クラシックカーを見て楽しんでもらうことで復興支援になればという考えからです。

車を趣味にしている唐沢さんならではのチャリティーの形ではないでしょうか。

仮面ライダーでショッカー役をしていた?

唐沢さんはバラエティ番組などでたびたび、過去に仮面ライダーのショッカー役を演じたことをいじられています。

ライダー役の吹き替えもしていましたが、ショッカー役として爆弾の近くに立たされていたこともありました。

また、真冬の撮影も全身タイツ1枚で演じていたそうで、寒くて無駄に動きが大きくなって怒られたことがあるエピソードを語っています。

江口洋介との関係

唐沢さんは俳優の江口洋介さんと何度も共演しています。

「愛という名のもとに」や「白い巨塔」、「ルーズベルトゲーム」など、幾度となく共演を重ねてきました。

しかし、どれもライバル関係であったり、対立している関係であったりと、ドラマの中では良いイメージの関係ではありません。

プライベートではどうなのでしょうか。

実は、1989年に放送されたNHK大河ドラマ「春日局」で共演して以来の飲み仲間です。

唐沢さんはインタビューで「相手が江口だから思う存分演じられる」と回答しています。

飲み仲間としてプライベートでお互いを知っているからこそ、堂々とした演技ができるのでしょう。

24JAPANの評判

「24 JAPAN」は、2020年10月から2021年3月までテレビ朝日で放送されていたテレビドラマです。

キーファー・サザーランドが主役を演じたテレビドラマ「24 -TWENTY FOUR-」のシーズン1のリメイク作品で、舞台を2020年の日本に置き換え、最新のテクノロジーと世界情勢を織りまぜた、日本初のリアルタイムサスペンスです。

唐沢さんは主人公の獅堂現馬(しどうげんば)を演じました。

CTU(テロ対策ユニット)の第1支部A班班長で、正義のためなら危険もためらわず任務を遂行するという役柄です。

ファンや視聴者からは、

  • 難易度が高いリメイクドラマなのに独自性も表現していて、唐沢さんがんばれ!って素直に応援できた。
  • どうしても本家と比べてしまう…。
  • どんな表情をしていても全部が二枚目だから見とれてしまった。

といった声がありました。

アメリカで制作されたドラマを日本版としてリメイクした作品なので、どうしても比較されてしまう面があったようです。

しかし、総合的な感想はよかった!という人が多くみられました。

受賞歴

  • 1991年 第65回キネマ旬報ベストテン 新人男優賞(「おいしい結婚」)
  • 1992年 第15回日本アカデミー賞 新人俳優賞(「おいしい結婚」、「ハロー張りネズミ」)
  • 1993年 エランドール賞 新人賞
  • 1998年第21回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞(「ラヂオの時間」)
  • 2000年第27回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演男優賞(「ラブコンプレックス」)
  • 2003年 第11回橋田賞
  • 2008年 文化庁芸術選奨新人賞 演劇部門(「コリオレイナス」)
  • 2009年 日本メガネベストドレッサー賞 サングラス部門
  • 2010年 第64回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演男優賞(「不毛地帯」)
  • 2013年 第3回ジャパン・モーターレーシング・ホール・オブ・フェイム(自動車文化人部門)
  • 2014年 GQ MEN OF THE YEAR2014
  • 2016年 第90回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 助演男優賞(「とと姉ちゃん」)
  • 下積み時代が長かった唐沢さんは、いろいろな苦労を重ね、今の地位を築いています。

    今後も長く見続けたいと思わせてくれる役者さんの一人です。