- 黒木瞳さんは、1960年10月5日生まれです
- 元宝塚歌劇団月組トップ娘役。
- 1985年9月1日[11]、『二都物語/ヒート・ウエーブ』東京公演千秋楽を最後に大地と同時退団し、芸能界へと転進
- 1990年、一般人男性と結婚
- 1999年・2000年は、『輝く!日本レコード大賞』(TBS)の司会
- 最近は毎日オンラインゲームに熱中
黒木瞳のプロフィール
性格
- 言いたいことをはっきり言う
- 曲がったことが大嫌い
- 物事をはっきりさせたい
- 決して悪口を言わない
- 真面目で責任感が強い
スタッフから曖昧なスケジュールの確認があると厳しくしかるそうです。
言いたいことははっきりいうところと仕事に対して真面目で責任感が強いのはこういうところに出て、性格が悪いといわれがちなところもあるようです。
また性格が悪いと言われる多くのエピソードもあって、
- 目下の人に挨拶されても、目を合わすだけで無視をする
- 気に入らないことがあると「あなた、私をご存知?私は女優なのよ」
と怒る事もあるようなのです。
さらに黒木さんは愛煙家とも言われており、撮影時には黒木さんのたばこが吸い終わるのを待っていることもあるそうです。
特技
- ピアノ
- 剣道
- 水泳
小学4年生で剣道を始めました。父が7段だったので喜ばせたい気持ちもあって始めたそうです。
なんだかんだ言いながら中学校2年までは継続していました。
趣味
- ゴルフ
- バレエ
- 大相撲観戦
- 競馬
- エアガン
エアガンが好きなのは意外過ぎますよね。
これが趣味になったのはキッカケがあります。
読売テレビ放送のSP番組「浜田が豪華ゲストと専門店で新春爆買ツアー!運が悪けりゃ自腹だSP」に黒木さんが出演したことなのです。
買う目的で向かった専門店はなんと「ガンモール」というサバイバルゲーム専門店だったのです。
刑事ドラマに出演した際にモデルガンを撃つ指導を受けたことがきっかけと話されていました。
そんな黒木瞳さんがエアガン専門店に到着し、銃を構えて試し撃ちしまくるといったシュールな場面が何度も流れネット上でも話題になりました。
でもギャップが良いですよね!
デビューのきっかけ
芸能界のデビューのきっかけは、宝塚です。
1981年に宝塚歌劇団へ成績3位で入団しています。
娘役として活躍し、入団2年目で月組トップの娘役に就任までしています。
宝塚入団中の1982年に、映画『南十字星』に出演していますのでこの時点で女優デビューといってもおかしくないですよね。
1985年9月1日に退団すると、正式に芸能界で役者として活動し始めます。
黒木瞳の家族構成について
1960年(昭和35年)に4人兄弟の末っ子として生まれる
黒木瞳さんのお父さんは一般人です。
剣道7段の腕前を持っており、博労さんでしたので、やくざさんでは?という噂もありましたが、それはないようです。
父親は、町会議員を務めたこともあったそうです。
ただ、この父親は黒木さんが宝塚に行くときには猛反対の大激怒だったようです。
黒木さんの母親は、地元で大衆食堂を切り盛りし、人気の美人おかみさんです。
黒木さんの美貌は、母親譲りなのですね。
黒木さんの兄弟姉妹は、兄が2人、姉が1人です。
黒木瞳は宝塚出身!
黒木瞳さんは宝塚の出身です。
実は、記念受験として宝塚音楽学校を両親に内緒で受験しようとしてバレエに1週間通ったそうです。
1979年4月に宝塚音楽学校に入学していますね。
1981年、宝塚歌劇団に月組の娘役として入団し、入団時の成績は39人中3位でした。
男役・娘役通じて史上最速となる入団2年目で、大地真央の相手役として『情熱のバルセロナ』でトップに就任しました。
黒木瞳はどんな人?生い立ちや経歴について
黒木瞳さんは1960年10月5日生まれの、福岡県出身です。
剣道7段の腕前を持つ父親の影響もあり、小学4年生から中学2年生まで剣道を習っていました。
高校卒業後は熊本県の音楽大学への進学が決まっていたのです。
それが、故郷の福岡で宝塚の「ベルサイユのばら」の地方公演を見たことでかなり憧れてしまいました。
それで、記念受験として宝塚音楽学校を両親に内緒で受験しようとしてバレエに1週間通って、見事合格してしまいます!それも3位での上位入学です。
1979年4月に宝塚音楽学校に入学しました。
男役・娘役通じて史上最速となる入団2年目で、大地真央の相手役として『情熱のバルセロナ』でトップに就任するという異例の出世でした。
1985年『二都物語/ヒート・ウエーブ』東京公演千秋楽を最後に大地と同時退団し、芸能界へと転進しました。
1990年、一般人男性と結婚。
1998年に出産した女児が一人いることを公表。
1999年・2000年は、『輝く!日本レコード大賞』の司会。
2005年 – 2009年まで『FNS歌謡祭』(フジテレビ)の司会。
2016年公開の映画『嫌な女』で監督デビュー。
さまざまな映画、ドラマ、CMと活躍し、芸能界の大御所になりました。
黒木瞳が死因と検索される理由
2015年の出来事ですが、胃がん治療を公表していたフリーアナウンサーの黒木奈々さんが、32歳の若さで亡くなったということがありました。
この時に、黒木瞳さんとごっちゃになったため一時期、黒木瞳さんが死去と噂が独り歩きしていました。
黒木瞳の現在
黒木瞳さんは相変わらずTVで大活躍です。
ドラマの予定も入っていますし、バラエティなどにも出演されています。
なお、短編映画の監督、2作品目となる「線香花火」を撮りましたという記事もUPされていました!
60代とは思えない美貌と精力的な活動をされています。
黒木瞳はゲーム好き!
黒木さんは宝塚に入る前からのゲーム好きで自分のことをゲーマーと言っています。
インベーダー、マリオ、まきがめなどをプレイしていることは話していました。
最近は毎日オンラインゲームに熱中しているとか!
課金魔で、月にお小遣いが3万円で全部ゲーム代と話しています。
出身校・学歴
- 八女市立黒木小学校
- 八女市立黒木中学校
- 福岡県立八女高校
福岡県立八女高等学校在学時には演劇部に所属、部長として九州大会に進出しています。
当時は音楽の先生になるのが夢だったそうですよ。
中学校当時は、始めてラブレターを書いて投函するまでに勇気がでなくて半年もかかっていたとか!
でも結局振られてしまったようです。
結婚した旦那は伊地知俊夫で年齢や馴れ初めは?
黒木さんの旦那は、1956年生まれなので、現在66歳ですね。広告代理店の電通に勤務していました。
早稲田大学を経て日本最大の広告代理店として知られる電通に入社。
結婚当時、役職に就いていたかは不明ですが2016年には第18営業局長に昇進したのは異例のスピードとのこと。
一般人の方なのですが、家系図がすごいと有名なのです。
戦前の政治活動家・頭山満(とうやまみつる)さんは、伊知地さんの曽祖父に当たるようです。
馴れ初めとしては、宝塚歌劇団を退団してすぐの頃、黒木瞳さんは大阪ガスのCMに出演することになったのですが、その時、電通の社員として、大阪ガスのCMを担当していたのが伊知地俊夫さんだったのです。
そして伊知地俊夫さんの完全なる一目ぼれからの始まりだったそうです。
黒木瞳さんは、60代とは思えない美貌で現在もTV業界で活躍されています。
もともとは宝塚劇団の出身です。
宝塚ではトップを張っている実力だったので芸能界の転身もあっという間でした。
清楚で可憐なイメージとは裏腹に、性格が悪いと言う噂もかなり多いのが意外ですね。
物事をはっきり言う、はっきりさせたいタイプなので物言いがキツイのかもしれませんね。
しかしその性格の悪さを裏付けるように、娘である伊地知萌子さんのいじめ以上の事件があったりと、なにかと裏では騒がしい感じではあります。
それでも表舞台に出ている黒木瞳さんはやはり美人、清楚、可憐なままの方です。
今も映画監督として作品も撮影されていたりと精力的に活動していらっしゃいます。
今度のご活躍も楽しみですよね!